僕たちは国内外問わず、ジャンクと呼ばれる古物を中心に買い付けています。例えばそれは壊れてしまった椅子や、動かないブリキのオモチャだったりします。もちろん修理して販売するものや材料として買い付ける物もありますが、僕たちにとって” 壊れた椅子 “にはもう一つの意味があります。
本来お店にとって大切な事は、” 正しさ “や” わかりやすさ “を見極め、商品に投影します。曖昧ですが、サービスなどもそうかもしれましせん。椅子で言えば綺麗で、今風で、お値打ちで、使いやすいものなのかもしれませんし、上質で高級なものかもしれません。
でも何故だか子どもの頃から、” 正しくなさ ” や “わからなさ “に惹かれてきました。
壊れて座れない椅子は、やはり、椅子としては正しくはないと思います。何が良いのかわからないという言葉も良く聞きます。それでも、その壊れた椅子と出会い目があった時、” この椅子なんだか、好き “と思います。それはほんの瞬間の出来事です。だから、持ち主の人に “なんだか、好き代 “を支払います。その瞬間、壊れた椅子は ” 僕にとっての価値 “にかわります。
でもそれは “壊れてはいるけど “という正しくなさを、そのまま含んだものなんです。どうして” 好き “なのかなんて、わからないままです。
そして日本に運び、ファクトリーに並べます。それを、何故かわからないけど気に入ってくれた次の人に譲ります。するとそれからは、その人の” 価値 “に変わります。海外でも日本でも僕はこの仕事をしている中で不意に、ものすごく感動したり、有意義に感じたりします。
でもその理由は、やっぱりわからないままでいます。。。